【自己紹介④】心身ともに病んだ私の「心の支え」が、栄養士になるきっかけ~人生最大の闇期~
2017/11/03
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・【自己紹介①】「生まれてから、食べることが大好き」~0歳から中学生編~
・【自己紹介②】「自分で欲しいものは自分で買え」~高校から社会人1年生~
・【自己紹介③】女性として生きることが嫌になった~社会人になってから編~
・【自己紹介④】心身ともに病んだ私の「心の支え」が、栄養士になるきっかけ~人生最大の闇期~←いまここ
職業は「家事手伝い」
仕事をやめてから、職業は「家事手伝い」になりました。
平日、仕事もせず昼間に自宅にいることが、不安でした。
そんな中、「家事手伝い」のなかでも、料理がとっても好きでした。
当時は、まったくできなかったのでお惣菜のもとを使って料理していました。
徐々に慣れていき、作りたいものを調べて、材料と作り方を紙に書いて、買い物して作っていました。
冷蔵庫の残り物でさっと作る、だなんてこの頃の私にとっては神の領域。
レシピ通りにきちっと作っていたので、計量カップや、大さじ小さじを使い、丁寧にはかっていましたね。
真似して、やってみて、回数こなしたらできる。
そんな風に料理の時間を少しずつ増やしていきました。
そうこうしていると仕事が決まり、家事手伝いは卒業。
次の職場は、男性社会とは真反対の女性だらけの職場です。
身体も心も、病んでました
新しい会社では、とっても人間関係に悩みました。
上司に媚びるようなキャラではないし、尊敬できる人もいないから尽くしたくなる人もいない。
女の上司には、嫌われました。
つじつまが合わないとか筋が通っていなようなことをいう人は男でも女でも嫌いだったので、よくぶつかっていました。
先輩とかにも理不尽に怒られたり、普通に業務こなしているだけなのにムカつくとか言われたりと、私自身も全然楽しくなかったです。
仕事=辛いものという考えがありました。
日曜日の夜はサザエさん病(会社に行きたくない病)でした。
蕁麻疹も出ました。便秘と下痢を繰り返す自律神経失調症にもなりました。急性胃腸炎にもなりました。心療内科にかかりました。抗うつ剤もらいました。生きているかわからないような毎日が続きました。
会社今日休みますと言って、よく休んでいました。
心身ボロボロになって働く私でも、心のよりどころはありました。
唯一の楽しみが料理教室。
高校からの友人を巻き沿いにして、毎週、料理教室に通い続けました。
「リーマンショック」で、週休5日になる
臨時ボーナスが出た直後のこと。
海外向け自動車部品の製造に携わっていた私の勤めていた会社は、リーマンショックにより仕事が急激に減りました。
週休2日から、週休5日に。
仕事がなく、派遣社員は全員切られました。
私はというと、契約社員から正社員になったばかりで、なんとかクビは免れたものの、給料は半分以下に。
生活のためにも、深夜はファミレスで調理のアルバイトをしていました。
「自動車産業は安泰だ」なんて、どこの誰が言ったのか知らんけど、ふざけてると思いました。
仕事がない私は、会社の命令で片道3時間かけて別工場に異動となりました。
初めは残業なしのはずが、最終的には2時間残業。
1日10時間労働に、6時間の通勤。
そのあと、深夜のバイトに、翌朝は昼食代を節約するために毎日弁当を作るため早起き。
毎日2時半には起床し、ひどいときで睡眠時間は3時間ほど。
これが2カ月続きました。
一番悔しかったのは、唯一の同期はずっと週休2日で、私のような苦労がなかったこと。
当然、給料面でも差が出ます。
私との待遇は天と地でした。それを決めたのも、扱いやすいか、扱いにくいか。「うるさい人は異動させる」といった上司のさじ加減でした。
私は苦労して、同期はなんの苦労もなく涼しい顔で仕事しているんです。
会社員なんて嫌でした。自分で選んだ仕事とはいえ、散々でした。
結局、会社にいいように使われ、コマ使いにしかならない。
そんな私が、将来を真剣に考えたのもこの時でした。
料理教室が、心の支えとなった
悲惨な生活を送っていましたが、週末の料理教室だけは欠かさず通っていました。
工場でライン作業で働いていたので、体力的にも精神的にもギリギリ。
週末はひどく疲れます。
しかし、料理は別物です。食のことを学ぶのが好きでした。今でも、それは変わりません。
どんなに疲れていても料理教室に行けば水を得た魚のように、元気になって帰ってくるのです。
5年は通った気がします。
何やっても飽きっぽくて続かない私が、唯一続いた習い事。
自宅で料理教室をしようと夢を見て、先生の資格まで取ってしまいました。
結局、通っていた教室では料理を教えることはありませんでしたが、楽しい時間を過ごせたことはまったく後悔はしていません。
一生、栄養士で生きる覚悟
今いる会社で、3年後、5年後、10年後の姿を想像できるか?と考えてみました。
私の答えは、NOでした。
むしろ、3つ年上の先輩、5つ上の先輩を見ていると、「こんな姿になりたくない」そう思いました。
しかし、料理教室だけは楽しかった。
「作るだけでは、意味がない。食べるなら、考えて食べなければいけない。」
そんな思いから、栄養学に興味を持ちました。
身体の機能や栄養素を勉強し、セミナーに通い、独学で花粉症を克服しました。
この時「薬に頼るのではなく、身体を作る食事から変えること」を体感したのです。
ただ、何のとりえもない普通の会社員が料理好きで、栄養に詳しいだけではお金にならない。
高卒で自動車工場にずっと勤めていた私は、資格も経験もありません。
転職を考えても、また同じことの繰り返しだと思ったのです。
好きを、仕事にする
私の「好き」ってなんだろう。
そして「一生食べていくことのできる仕事は何か?」
そう考えた時に、憧れであった予防医学の先生が「栄養士」という職業だとわかりました。
高校生から「好きを仕事にして、社長になりたい」という夢が叶いそうな職業で、なおかつ一生できる仕事。
「栄養士」しかないっ!!と、決めつけ、栄養士になることで私の人生を変えると信じ、専門学校へ入る事を決めました。
会社に辞表を提出した数日後に、「東日本大震災」が発生しました。
会社はますます仕事がなくなり、休みも増えたのは言うまでもありません。
日本が最悪の事態になっているころ、私は最高のタイミングで人生のターニングポイントを迎えたと思っています。
この時、20代後半になっていましたが、安定した収入を手放すことに後悔はなく、栄養士として独立して人の役に立ちたいという思いだけがモチベーションとなりました。
そんな思いを胸に掲げながら、自分の人生を生きることに燃えていました。
続きはこちらかから→【自己紹介⑤】前世は天皇の料理人?!遠回りして手に入れた「管理栄養士」
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